めろめろめるてぃー

いろいろ書きます メスです

それに恋って名前つけたやつマジバカ

人間、想いは交錯し合うものですね。好きなだけでぜんぶやっていきたいけど、なーんか空気を読んだり自分を守ったり、年齢相応の行動をしたがったりしてるとさ、無理だよね。ストーカー扱いされたら怖いし。

でも本気なら会いに行けばいいと思うよ。

思うけど、まっっっじで本気の綺麗事だよなー実際拒絶してる相手が自分の最寄り駅で待ってるとかあったら鬼怖くない?鬼怖いだろ。でも今回のコレ別に拒絶ってわけじゃないから突然最寄り駅にいてもいいのかな、とか考えちまう。

 


そうね、でもやるならもっと熱帯夜がよかったかもしれない。夏はもう逃したな。冬は最高だね、その点では。寒い日に私がもし凍える思いで終電に乗ってきて、駅で一夜を長く長く過ごしたとする。もし会えたら何話そうとか考えて、そうこうしてるうちに寝ちゃって朝になって、ラッシュで偶然見つけても向こうはこっちなんて無論気づかず、程度でいい。そういうオチはもどかしさしかないけど、私の人生小説みたいにキラキラしている。妄想だけどさ。

 


こっからはめっちゃちゃんと読んでほしい。

 


恋について愛についてとかそんなことばっか言ってる。でも大事なこと忘れてた、

「ああこれがきっと好きだ」となる瞬間が恋なのだと思う。

たとえそれが執着や依存であったとしても。

だって全ては勘違いなのだから。

人によって定義と熱量が違うものに、わざわざ名前をつけた奴は誰だ?情緒もクソもない。

もし恋に恋という名前がついていなかったとしたら、人間は「この感情をどう名付けたらいいんだろう」と、悩み抜きながら人を好きになっていたに違いない。

名前がつくと何事もやすっぽい。親友とかと同じ感じで。

 


言いたかったことおわり。

 


えーと、そう。まとめ!私にはそれが今、欠如してる。執着と依存の中でも、「ああこれがきっと好きだ」ってならない。唾液腺がぎゅっとなるようなあの瞬間が、ほしくてほしくてたまらない。けど、なんない。ま、無理にそうなれるなら最初からなってる。結局私、好きになりたいみたい。めんどくさいね、私という人間は、、おしまーい